March 2020

終末時代のまとめ–パート2

By | 2020-03-26T13:11:53+00:00 March 26th, 2020|

終末時代のまとめ--パート2 終末についての学びは、とても複雑になりがちで、多くの不確定要素や流動的なところがあります。終末時代の全体像について7つの言葉にまとめてみたいと思います: 艱難 迫害 エクレシア(国々の教会) イスラエル ハルマゲドン 再臨 千年紀 一つずつ、続けて簡単に定義して行きましょう。 5.ハルマゲドン 世界中の霊的な紛争は一つの大戦へと収束されます。この戦いの中心は、世界中の諸国が一つとなってイスラエルに対してしかけてくるものです。(ゼカリヤ書14:1-2,エゼキエル書38-39)諸国が北からイスラエルに侵入してくると、ハルマゲドン(ヘブライ語הרמגידו)またはメギドと呼ばれるジェズリエルの谷(黙示録16:14-16)で大いなる戦いが起こります。そして、その戦いはエルサレムで終わりを迎えます。この戦いはイザヤ書37章にあるアッシリアとの戦いと1973年のヨム・キプール戦争が予表しています。諸国がイスラエルを攻撃する事は、神は、それはご自身を攻撃したものだと述べています。 6.再臨 諸国がエルサレムを占領し街が囚われると、神には介入以外手がなくなります。天が開かれ、イエシュアは戦いの王、裁き司、軍司令官として戻られ、白い馬に乗って天の軍勢を率いて空中の悪霊の軍や地上の人の敵軍を打ち負かします(マタイ24:27,30;黙示録19:11-19).イエシュアはオリーブ山に立たれ(ゼカリヤ書14:4)、死者(第一の復活)は復活し、聖徒は変貌します(第一コリント15:52,第一テサロニケ4:16). 黙示録19:20-20:3 すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。 反キリストの軍と悪魔は地から追いやられるのです。 7.千年紀 戦いの後、イエシュアはエルサレムへ勝利の入城をします。主はご自身の首都をエルサレムに、主の地上の純粋、平和、繁栄の御国を打ち立てます。 イザヤ書2:1-4 [...]

終末時代のまとめ–パート1

By | 2020-03-20T15:14:43+00:00 March 20th, 2020|

終末時代のまとめ--パート1 終末についての学びは、とても複雑になりがちで、多くの不確定要素や流動的なところがあります。終末時代の全体像について7つの言葉にまとめてみたいと思います: 艱難 迫害 エクレシア(国々の教会) イスラエル ハルマゲドン 再臨 千年紀 一つづつ、簡単に定義して行きましょう。 艱難 イェシュアは、終末の時代について人々が「ノアの時にあったように...ロトの時にも同じよう 」になると語っています。(ルカ17:26-29)。ノアとロト、両方の時代において、人間社会に恐るべき悪が横行していました。暴力や性的な倒錯がはびこっていました。現在まで私たちは同じ様な傾向を見ており、それはさらに悪化しています。究極的には、モーセの時代の邪悪なパロ帝国の様な、悪の政府が世界を支配します。 聖書は、この地球規模に統一された政府と宗教を「獣」(黙示録13:1)と呼んでいます。 黙示録12:15 へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。  これには、洪水の様に大量のメディアによる洗脳、誤情報、プロバガンダが含まれます。 迫害 その一番主要な部分は、艱難が義なる者に対して挑むことです。 黙示録13:7  (獣は)聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。 神さまはこの期間、主に属する民を守られますが、それでも彼らは酷い迫害にさらされます。これは真理について証しし、清められ、謙遜になり、強められ、また悪に対する主の義なる裁きを証明するための機会となります。迫害は、イェシュアにある全ての信者、伝統的な結婚の価値観を、イスラエルを、総合的に正しいことを支持する全ての人々がターゲットとなります。イェシュアは「人々は、あなたがたを苦しみにあわせ」(マタイ24:9)ると言われました。 [...]

プリムとイランに関わる霊的闘い

By | 2020-03-08T14:18:40+00:00 March 8th, 2020|

プリムとイランに関わる霊的闘い 今年のプリムは3月の9日と10日に祝われます。 イランについて祈る時です。この国については強力な霊的闘いが繰り広げられており、それはイスラエル、クリスチャン、地域、そして世界に影響を与えています。なので、これはあなたにとっての闘いでもあるのです。 イラン/ペルシャはプリム、エステルの祭りにおいて二重の役割があります。ペルシャの高官ハマンは、ユダヤ人の最大の敵で、ユダヤ人を世界から抹殺しようと企んでいました。その一方、クセルクセス(アハシュエロス)王は、彼の行為によりユダヤ人を責めもしましたが、救いもしました。その二分性は今日も続いています。 イランの代理者であるヒズボラは、先日米国のミサイル攻撃で暗殺された残酷なイラン人司令官、ガーセム・ソレイマニの像を最近公開しました。その像は南レバノンに立っており、イスラエルに向いていて、「イスラエルを無くすこと」で「パレスチナを解放しよう」という意志を示すシンボルとしています。 シーア派のイランは、反イスラエルであるだけではなく、アンチ・クリスチャンでもあります。オープン・ドアーズの提供しているワールド・ウォッチ・リストによると「すべてのペルシャ民族はイスラム教徒として見做される。イスラム教を棄教するペルシャ民族は、『国家の安全を脅かす罪』にて死刑または投獄される可能性がある」とされています。 イランはまた、核兵器開発のあからさまな企てにより、世界に脅威を与えています。論争の的となっている2015年のイラン核合意枠組みでは、経済制裁解除と引き換えに、イランの核開発プログラムを管理し民生使用に制限することとなっていました。2018年、イランが条件を破棄したとして、トランプ政権は合意を撤回しました。 ペルシャ(現在のイラン)のクロス王の治世に、ダニエルは3週間の断食ののち、ペルシャが関わる強力な闘いに、個人的に遭遇します(ダニエル12:1によると、ミカエルがイスラエルの大天使であることに注目ください): ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき...。ダニエル 10:13 聖書のエラムは現在のイランの南西部にありました。エラムは、ノアの息子セムの長男で、セム系の民族であるエラム人となり、祝福の相続人となりました。エレミア49:35-39には、ユダ王国がバビロニアに滅ぼされる前の最後の王で悪名高き、ゼデキアの治世に語られたエラムについての重要な預言を見ることができます。 その預言は明白に、歴史的に成就しましたが、未だ今日の中東には、それに関連した「こだま」が響いているようです。 バビロニアがエラム/ペルシャを滅ぼしました。アケメネス朝ペルシャ帝国の創始者クロス王(BC600-530年)は後日バビロニア帝国を征服し、ネブカデネザル(ネブカドネザル/ネブカデレザル)により散り散りにされた(「天の四隅まで」)ペルシャ人たちは、この時に帰国できたようです。クロスは「回復のおふれ」(第2歴代史36:22-23)を出し、ユダヤ人捕囚民を聖地に帰らせエルサレムの街を再建できるようにしました。 According to イザヤ45:1によると、彼がこの使命を達成できるよう、神さまは彼に油を注ぎ、非ユダヤ人として唯一、聖書的に「メシア」または「油注がれた者」と成りました。このようにして、エルサレムの回復の器とすることで、神さまは「エラムに主の王座を置き」始めたのです。 クロスは、現在のイラン、ファルス州出身で、それは古代のエラムの位置と殆ど同じであり、そこから彼は征服を始めました。そのペルシャ帝国自身も最終的には、ダニエル預言の通り、BC334年からアレキサンダー大王の手により激しく略奪され、打ちのめされました。 エレミアが預言した回復は、その後更にエルサレムで起こったリバイバルにより成就しました。使徒 2:9では、「エラム人」が、ペテロのメッセージに応答した人々の中にいたことが読み取れます、そして確かに福音メッセージを携えて帰途に着いたことでしょう。 神さまによるイランへの打ちのめしと回復は今日も続いています。体制から脱出したイラン人たちは、再度「天の四隅」にて見いだされます。多くのイラン人難民はイェシュアの信者となっており、無意識的にイスラエルを愛しています。十分信頼性のあるオペレーション・ワールドの調査によると、イラン自体においても、教会成長(福音派)は、世界で最も速く、2020年には年に19.6%と、はるかに他をしのいでいます。 イランは、アハシュエロス、クロス、そしてエラムの王ケドルラオメル(創世記14:1および14:4)の時代にそうであったように、地域における指導的立場を取るよう召されています。その指導的立場とは、悪にもなり得、またリバイバルにもなり得ます。私たちはイランのため、ダニエルの霊的闘いに参加し、エラムにて悪を追い出し、主の御座が据えられるよう、主の子供達が、イスラエルが、世界の平安が守られるよう、主に求めていきましょう。

February 2020

墓に来たマリア:進行性の啓示–パート2

By | 2020-03-05T00:21:00+00:00 February 28th, 2020|

墓に来たマリア:進行性の啓示–パート2 2020年3月8日は国際女性の日となります。 今日の著者、グレタ・マヴロはギリシャでリバイブ・イスラエル/ティックングローバルのミニストリーのため主に仕えています。 マリアが墓を覗くと、二人の御使いがおり、イエシュアの身体が横たえられた場所の一人は頭のあたりに座り、もう一人は足のあたりに座っていました。突然、強力な啓示がマリアに与えられました。それは、私たち皆が必要なもので、それを受けるには、まず身を低くして墓の中を覗き込み、彼女が行ったように私たちの魂が望むように主を求める事が必要です。 「また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。机をアカシヤ材で作らなければならない。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作り、その回りに手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作る。」(出エジプト25:17-22) 御使いはマリアの元にやってきて、イエシュアは永遠なる贖いのふたに着かれた事を伝えました。そこは神が私たちと共におられる場所です。彼らはマリアが二人のケルビムの間におられる主と出会うために、準備をされました。マリアは心のままに熱心に求める聖書の中で最良の例です。彼女のように、留まり、身を低くして墓を覗き込み、人の手によって作られていない贖いのふたと出会う事を望む者全ての動機付けとなるのです。 「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。」ローマ3:25 イエシュアはマリアの心をご存知でした。主は彼女と親しく交わるために、「二人のケルビムの間」から来られました。最後に、主はマリアの名を呼び、彼女の目が開かれ、主に気づいて「ラボニ」と呼びました。主は彼女に自身の身体に触れないように言いました。主はまだ御父の御許に戻っていないからです。主は、御父の御許に戻る途中、主を失って混乱しているマリアと弟子たちを慰めるために墓に戻ったように思われます。主は、新しい時代へと導くため、マリアに自身にしがみつかない様にと指示しました。主は永遠に覆いを取り除かれました。主は御父の元に昇られ、それが今もこれから永遠に、永続する憐れみを見出すため私たちが主の恵みの玉座に近づく事が出来るのです。主は私たちの贖いのふたで、人の手によって作られていないからです。 「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」ヘブル4:14-16

墓に来たマリア:進行性の啓示 – パート1

By | 2020-02-25T14:35:56+00:00 February 25th, 2020|

墓に来たマリア:進行性の啓示 – パート1 2020年3月8日は国際女性の日となります。 今日の著者、グレタ・マヴロはギリシャでリバイブ・イスラエル/ティックングローバルのミニストリーのため主に仕えています。 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。第1コリント13:11-13 神さまからの愛が覚醒するとき、主に顔と顔を合わせてまみえる時まで主を求め続けます。そのために、子供じみたことから遠ざかる様になります。私たちが愛するとき、一部だけを知って満足することはありません。私たちが知られているように私たちも知る必要があります。これが神さまからの愛なのです。 ヨハネ20章には、私たちが部分的に知る事から、全体的に、更に完全に知るようになる、強力で進行的な啓示が描かれています。マグダラのマリアが墓で行ったように、主が戻って来られるその時まで待ち望む中で、私たちもこの偉大な関係の満ち満ちたさまの一端を荷なうことができるのです。マリアはイェシュアが死なれた後も、主の一部分を知るだけでは満足しませんでした。彼女の心は更に求めていたのです。 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」 ヨハネ20:1-2 この知らせを聞いて止まってしまう人は多いと思いますが、イェシュアと親密に歩んで来たヨハネとペテロは、墓を調べるため走っていきました。主に愛された弟子ヨハネがペテロを追い越して行き、屈み、亜麻布を見ますが、中には入りません。ペテロが到着し、墓に入り、その亜麻布だけではなく、イェシュアの頭に巻かれていた布切れも、巻かれたまま置いてあるのを見ます。そしてヨハネ自身も墓の中に入り、信じます。二人とも復活の強力な証拠を受けますが、それは一部だけです。二人とも再び家に帰ります。そこまでで探求を止めてしまう人、ましてや主の部分的な情報を受け取り「家路につく」人さえいます。多くの人は、良いメッセージと神学教理、聖会、うまく奉仕できたこと、ある程度までの霊的啓示までで満足し、そこで止まってしまうのです。 主の最も近しく、親密な弟子であったペテロとヨハネさえも、元の普段の生活に戻っているのです。事実ペテロは漁に出て、何をして良いかわからない他の弟子たちを引き寄せています。彼らは一晩中漁をしていましたが、一匹も獲れませんでした。それはイエスさまが既に、彼らに人を取る漁師となるよう召されていたからです。彼らは、その失望の中で、「間違った海で漁をしていた」のです。 しかしマリアは、彼女の古い生き方にもう戻ることができませんでした。「家に帰ること」も叶わず、かつての日常生活に戻ることはできませんでした。イエスさまが彼女の家であり、彼女にとって唯一で最終的な終着点は、主にまみえることだったのです。 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」 彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」ヨハネ20:11-13 マリアは、御使い以上のこと、イェシュアの復活の証拠よりも、主の一部だけよりも、もっと大きなものを求めていました。彼女はイェシュアご自身を求めていたのです!彼女のたましいが愛した方を探していたのです。

万人のための力、ドゥナミス

By | 2020-02-10T16:22:03+00:00 February 9th, 2020|

万人のための力、ドゥナミス 「ドゥナミス」とはギリシャ語で「力」を表し、新約聖書には120回出てきます。同じ語源で「 ダイナマイト」や「ダイナミック」という語があります。その語彙には次の4つの意味があります: 神の強さや力– 「御国と力と栄光は...」(マタイ6:13)。 聖霊さまから来て、私たちの内にある神の強さ 奇跡、癒し、解放 全ての霊的な力(良きにせよ悪しきにせよ、兵器、政治、金銭等を含む)。 ここでは、2つ目の意味、私たちの内に在る神の力に フォーカスしたいと思います。 ルカ9:1-2 イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。 イェシュアは12弟子たちに、力(デュナミス)と権威(エクソウシア)の両方を与えました。この力と権威は、全ての悪霊を凌ぎ、病人を癒すものです。 権威とは力を使用することの法的な権利です。軍隊では兵士たちは武器の使用方法についての研修を受け、最後にその武器を使用するための免許または権威を受け取ります。力自体はその兵器の中にあります。犯罪者は武器の力を利用しますが、それを使う権威は持っていません。一方、兵士や警察官はそれら武器を使用する力と権威の両方を持っています。一般的に言って、正当な権威なしに力を使用することは罪となります。 力と権威 イェシュアは弟子たちに力と権威の両方を授けました。権威は、「イェシュアの御名によって」と言う時にあり、それはその言葉自体だけではなく、私たち自身が主の権威に服従した上で主の御名を用いるのです(ルカ7:7-8)。デュナミスの力は聖霊を通じて私たちのところに来ます。私たちには力と権威が与えられていますが、それは悪霊を追い出し、癒しを行うためだけではなく、福音を宣言するためでもあるのです。解放と癒しは、罪の結果を取り扱っており、福音は罪の元を断ち切ってくれるのです。 私たちは、力と権威無しに、神の御国を進展させることは出来ませんが、力と権威を自分のために求めると、間違った方向(つまり傲慢さや欲望)に進んでしまいます。力と権威を伝道に用いるとき、それが人間のエゴのためであるなら、罪となります(マタイ7:21-22)。 時に神さまは私たちに試練のため困難なところを通らせますが、それは私たちの心の動機を清めるためなのです。イェシュアは40日間の試練の中で、サタンに誘惑を受けました。この試練を通じて、力を受ける準備をされていたのです。私たちもこういった試練を経験する必要があります。時には、その神さまが、私たちに得て欲しいと思われている力とは、単純に、罪に対して「ノー」と言う力なのかも知れません。神さまの思いに私たち自身を合わせるとき、神の生命が私たちを通して現れされます。 私たちはどうなるの? 神さまの力と権威は12弟子たちだけに与えられたのであり、私たちが受け取ろうと思うのは思い上がっていると、ある人々は言います。しかし、ルカ9章でイェシュアは12弟子を訓練し始められますが、ルカ10章では、そのグループを72人に拡げています。主は彼らに暗闇の力を追い出す権威を与えられました。 ルカ10:19 [...]

主は語られる!諦めてはいけない!!!「信仰を持て」

By | 2020-02-07T11:10:38+00:00 February 1st, 2020|

主は語られる!諦めてはいけない!!!「信仰を持て」 「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。」ヘブル11:11 哀歌3:37には、「主が命じたのでなければ、だれがこのようなことを語り、このようなことを起こしえようか。」とあります。主(ハシェム「御名」)のみ言葉は真実で解放や救いの力がある非常に信頼おけるものです。 2歴代誌20:20で主(ハシェム)が語ったみ言葉「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」とあり、真実です。 主(ハシェム)は決して、ご自分がしない事は歴史上一切言いませんでした。言うはずはありません。 「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」(ローマ4:19)、彼らの信仰は一切揺るがず、神を見据えて、主が必ず与えて下さると信じていました(ローマ4:20)。「このことは、彼が信じた神(ハシェム)、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。」(ローマ4:17)。 「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(ローマ4:18-21) 神の子よ。私は神の川から湧き出るこの力のメッセージをもたらします。「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、」黙示録22:1-2。それは、死んだものにいのちが吹きこまれ、不妊と思われる胎を生き返らせるのです。あなたの状況について、あなたの医者が言うであろう報告を私は知りたくありません。私(主)を聞きなさい。あなた方の状況はあなたのアイデンティティでもなく、あなたの名は「落胆」または「拒絶」でもありません。(イザヤ62:4)。神はあなたの利のため、あなたの証のために、状況を書き換える以上の事をしてくださいます。そして聖書はこう言います。「主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」(イザヤ書62:7)。信仰に立ちなさい!今リバイバルを受け取りなさい! 祈りの焦点:詩篇51、118。イザヤ書62。 (ヨアシュ・チョイ氏はエチオピアのゴンダールからのユダヤ人難民で、現在はケニア市民。彼は妻ベティと共に「希望の家」孤児院のディレクターを務めている。彼はケニアのキシイにあるメシアニック・フェローシップの牧師であり、癒やしと解放のミニストリーを行っている。彼は、ティックーン・アフリカ・ネットワーク・オブ・メシアニック・コングリゲーション(リバイブ・イスラエルなどが加わっているティックーン・グローバルとは現在関係していない)の代表でもあり、学校の教師でもあります。) (ヨアシュの伝統では、神の御名は使われず、代わりにヘブライ語の「ハシェム(御名)」が使われます。同様に、「主」の代わりにヘブライ語の「アドナイ」が使われます。)

January 2020

神さまのご計画通りの満ち満ちた様になる

By | 2020-01-31T15:53:38+00:00 January 28th, 2020|

神さまのご計画通りの満ち満ちた様になる 若い世代が「一人の新しい人」における彼らの使命にあって、その満ち満ちた状態となりつつあります。(エペソ2:14-16) 失われた世代 ペタッハ・ティクヴァの初期の頃、50歳以上の人々がイスラエルについて啓示が与えられているのに、あまり若い人たちには与えられていないのを見て、ショックを受けました。それは全世代がイスラエルと国々についてのイェシュアのご計画を理解できていないように思えました。世界のリバイバルを含む、聖書の内の80%がイスラエルについて語っているにも関わらず、何故このような事になってしまうのでしょうか? 障壁となり得るもの 教義/啓示 若い世代にはイスラエルについての教えが不足しているように思われます。それらの教えは、その土地や民を支援するだけではなく、その先を行き、地上の全ての国々における神の御国の回復を強調すべきです!その応答は、教会内の「イスラエルグループ」(多くは年配者)を実施したり、毎年恒例の「イスラエル日曜日」を開催する以上のものが必要です。イェシュアの再臨が近づく今、より大きな神さまの青写真を若い世代に伝える必要があるのです! 霊的闘いに疎い 同様に、多くの場合、欺きによるメディアの影響や、誤った神学や教義により、霊的闘いについての理解が不足しています。教会内で論争が起こるのを避けるため、イスラエルについて教えないと決めている牧師の方々と会ったこともあります。 不健康な「イスラエルファン」 多くの「イスラエルファンたち」が、若者たち(や牧師たちまでも!)を混乱させ、神さまのマスタープランの理解を妨げています。その混乱の範囲は以下を含んでいます: アイデンティティ:異邦人たちがユダヤ人のように振舞い始めることで過剰反応します。時によりそれは極端に走ります – ある教会では全員がユダヤ教に改宗し、メディアの注目を引いたのを見たことさえあります。イエス/イェシュアが、常に中心とされるべきで、ユダヤ人の習慣であるべきではないのです! 人々がユダヤ人やイスラエル製品等を偶像視すること。 分離:歴史における教会の反ユダヤ主義的役割についての理解により、 ある人々は教会から遠ざかります。多くの場合、如何なるリーダーシップに対する従順さもなく、そのレベルによりメシアの身体から分断された状態に陥ってしまうのです。 挑戦 これらの問題が示しているのは、多くの若者が最終的に混乱し、「なんでイスラエルのことを構う必要があるのか?」と思うようになることです。新興世代が攻撃対象となっており、敵の欺きが今まで以上に巧妙となり、霊的な洞察力がさらに必要となります。 分断の壁 イェシュアは、ユダヤ人と異邦人との分断の壁を破壊しました [...]

世界的なアライメントのまとめ

By | 2020-01-13T13:54:09+00:00 January 13th, 2020|

世界的なアライメントのまとめ アシェル・イントレータ アライメントについての私たちの教えが、イスラエルおよび世界中で注目を集めています。アライメントの書籍から、メシニック・ジューと異邦人クリスチャンの間における関係について、特に相互的な従順さ、パートナーシップ、相乗効果について、こちらに引用箇所を集めてみました。 9ページ、世界的なアライメントは 、イェシュア(イエスさま)の再臨に対して準備が整えられるよう、世界中の真のクリスチャンとイスラエルのメシアニック・レムナント(残れる者たち)の正しい関係性に密接に関連しています。アライメントは神さまの命令に対し従順となることで、この地上に主の御国の建設に対し、準備をすることなのです。 17ページ、私たちが優しい心と敏感な良心を持つとき、私は如何なる状況にあっても、この親密さと従順さを求めることとなるのです。 18ページ、アライメント(神さまに向かって方向性を揃えること)とは、全ての人が自分の場所を持ち、それぞれ機能し、それぞれが実を結ぶことが許されている命令なのです。 24ページ、悔い改めはアライメントの最初のステップです。 25ページ、イェシュアを主として崇めているかどうかが、私たちの個人的なアライメントが神さまのご計画と目的に合致しているかどうかを見るための礎石です。 27ページ、霊的なアライメントとは、モラルのアライメントです。 モラルについての洞察力の不足は、私たち多くの者をして「カリスマ派」が常軌を逸していると思わせます。聖霊さまは、「神秘的である」と言うよりも「道徳的である」のです。 43ページ、御国の完全な形での回復は、イェシュアの再臨時のみに起こるのです。 44ページ、私たちは使徒たちから委託された職権を全うするために召されています。私たちは彼らの始めた事を継続していくだけなのです。彼らの世代がその(委託された)大宣教命令を始動させたのです。そして私たちの世代が(願わくば!)それを完成させるのです。 56ページ、再臨の時には、この世の諸王国は、イェシュアと、義の道を歩むことを学んだ人々にその権限を移譲します。 64ページ、イェシュアは教会のかしら(エペソ1:22)であり、イスラエルの王(ヨハネ12:13)でもあります。 80ページ、 アライメントは、直接的従順に比べ、より軽い形態ながらも明確には従順な心が必要とされる権威である。問題は、組織的支配に関するものではなく、この終末の時代に主に仕える正しい方向性についてなのです。 90ページ、アライメントは、イスラエル人レムナントと国際的エクレシア(教会)の間における正しい関係を要求します。円の中に円があり、全てが平等なのです。アライメントは全ての人が含まれることを保証するために設計されたものです。 91ページ、宗教的先入観は民族的誇りをもって人々を疎外しようとしますが、契約的アライメントは、お互い個人個人を敬意をもって好意を持ち、全ての人を含めることを求めます(ローマ12:10)。 111ページ、私たちは使徒15章の評議会について、上の指導者たちがどのように会合を行い、お互いに服従して行くかの聖書的手本として注目します。私たちが「エルサレム会議」なのだと言っている訳ではありません。ただ上級指導者たちが、相互的で関係的なコミットメントや説明責任のため、少なくとも1年に1回は、会合を開くべきだと主張しているのです。 [...]

リバイバルのための2語からなる祈り

By | 2020-01-07T12:31:47+00:00 January 7th, 2020|

リバイバルのための2語からなる祈り 私は2語からなる素晴らしい祈りで、国のリバイバルをもたらすものを、発見しました。 ある国が偉大なリバイバルが起こる間際にあるとき、コングリゲーションやミニストリーにおいてある一定の成功レベルが認められます。人数が増え、更に多くの献金が集まり、霊的リーダーたちは有名になり、影響力を持ち、またある場合には裕福になり、名声を得ます。 この祝福のレベルは、エクレシアに国家的変革をもたらし得るツールを提供します。これは、女性が妊娠し胎児の時が満ちるように、必要不可欠なステージです。それでも本当の成功自体には、その中に障害が含まれていて、それらは同時に神の御国の成長を妨げたり、阻止したりします。 神さまの祝福の数々の内には、神を抜きにしてその祝福だけを求める事が、切り離すことのできない誘惑として付随しています。人は怠惰、肉欲、エンターテイメント指向、貪欲、傲慢、反抗になることが可能です。モーセはこの症候群について「エシュルンは肥え太ったとき、足でけった 」 – וישמן ישורון ויבעט - 申命記 32:15と言及しています。 この世的なものによる誘惑は、いかなる人間にとっても危険なものですが、しかし霊的指導者にとって特に危険なものが、2つあります:ねたみと争い。 ピリピ1:15  人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。 霊的指導者は、互いに張り合おうとする事は可能です。しかし国全体にリバイバルをもたらすために協力する代わりに、彼らはお互いを引っ張り合い始めています。神さまの御国へと触れられる新たな領域、新しい人々を求める替わりに、彼らは自分たちの資源や達成したことについて護りに入っているのです。 ねたみや争い、やがて指導者たちが互いに否定的に言い合うようになり;自分が比較的良く見えるよう、他人を非難するようになります。「霊的洞察力」や「信徒への警告」という外見のもと、無意識のうちに彼らは本質的には、お互いを呪いあい始めるのです。このことは神の人々の内に、分派や破壊をもたらします。 パウロがこれを書いたとき、牢屋の中にいました。彼のして来た全ての働きは他人により、引き継がれました(良い意図でした人も、そうでない人もいました)。ある人々は有名になり、彼のことを悪く言ったのです。彼は孤独で苦しんでいました。しかし問題に注目するのではなく、彼はその中にある祝福に着目することを選び取ったのです。 ピリピ1:18 すると、どういうことになりますか(英文聖書では「So what?/それが、どうしたのでしょうか?」)。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、メシアが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。 それです、国のリバイバルをもたらすことができる2語からなる祈りとは、「SO WHAT!/それがどうした!」です。もし、全ての指導者たちが互いにねたみや争いといった感情を無視し、誰か他人の働きが 成長し、多くの人に影響を与えているのを喜ぶとき、神の御国全体が大きく前にジャンプします。 このことは、全ての霊的指導者に必要な心の清浄化なのです。パウロは、アポロについてこのことを対処しました(第1コリント3章)。ペテロも、ヨハネについてこのことを対処し(例えイェシュアがペテロに十字架に架けられるように言い、ヨハネに永遠に生きるよう言ったとしても、自身をヨハネと比較しないよう、イェシュアはペテロを戒めました [...]

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