February 2020

万人のための力、ドゥナミス

By | 2020-02-10T16:22:03+00:00 February 9th, 2020|

万人のための力、ドゥナミス 「ドゥナミス」とはギリシャ語で「力」を表し、新約聖書には120回出てきます。同じ語源で「 ダイナマイト」や「ダイナミック」という語があります。その語彙には次の4つの意味があります: 神の強さや力– 「御国と力と栄光は...」(マタイ6:13)。 聖霊さまから来て、私たちの内にある神の強さ 奇跡、癒し、解放 全ての霊的な力(良きにせよ悪しきにせよ、兵器、政治、金銭等を含む)。 ここでは、2つ目の意味、私たちの内に在る神の力に フォーカスしたいと思います。 ルカ9:1-2 イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。 イェシュアは12弟子たちに、力(デュナミス)と権威(エクソウシア)の両方を与えました。この力と権威は、全ての悪霊を凌ぎ、病人を癒すものです。 権威とは力を使用することの法的な権利です。軍隊では兵士たちは武器の使用方法についての研修を受け、最後にその武器を使用するための免許または権威を受け取ります。力自体はその兵器の中にあります。犯罪者は武器の力を利用しますが、それを使う権威は持っていません。一方、兵士や警察官はそれら武器を使用する力と権威の両方を持っています。一般的に言って、正当な権威なしに力を使用することは罪となります。 力と権威 イェシュアは弟子たちに力と権威の両方を授けました。権威は、「イェシュアの御名によって」と言う時にあり、それはその言葉自体だけではなく、私たち自身が主の権威に服従した上で主の御名を用いるのです(ルカ7:7-8)。デュナミスの力は聖霊を通じて私たちのところに来ます。私たちには力と権威が与えられていますが、それは悪霊を追い出し、癒しを行うためだけではなく、福音を宣言するためでもあるのです。解放と癒しは、罪の結果を取り扱っており、福音は罪の元を断ち切ってくれるのです。 私たちは、力と権威無しに、神の御国を進展させることは出来ませんが、力と権威を自分のために求めると、間違った方向(つまり傲慢さや欲望)に進んでしまいます。力と権威を伝道に用いるとき、それが人間のエゴのためであるなら、罪となります(マタイ7:21-22)。 時に神さまは私たちに試練のため困難なところを通らせますが、それは私たちの心の動機を清めるためなのです。イェシュアは40日間の試練の中で、サタンに誘惑を受けました。この試練を通じて、力を受ける準備をされていたのです。私たちもこういった試練を経験する必要があります。時には、その神さまが、私たちに得て欲しいと思われている力とは、単純に、罪に対して「ノー」と言う力なのかも知れません。神さまの思いに私たち自身を合わせるとき、神の生命が私たちを通して現れされます。 私たちはどうなるの? 神さまの力と権威は12弟子たちだけに与えられたのであり、私たちが受け取ろうと思うのは思い上がっていると、ある人々は言います。しかし、ルカ9章でイェシュアは12弟子を訓練し始められますが、ルカ10章では、そのグループを72人に拡げています。主は彼らに暗闇の力を追い出す権威を与えられました。 ルカ10:19 [...]

主は語られる!諦めてはいけない!!!「信仰を持て」

By | 2020-02-07T11:10:38+00:00 February 1st, 2020|

主は語られる!諦めてはいけない!!!「信仰を持て」 「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。」ヘブル11:11 哀歌3:37には、「主が命じたのでなければ、だれがこのようなことを語り、このようなことを起こしえようか。」とあります。主(ハシェム「御名」)のみ言葉は真実で解放や救いの力がある非常に信頼おけるものです。 2歴代誌20:20で主(ハシェム)が語ったみ言葉「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」とあり、真実です。 主(ハシェム)は決して、ご自分がしない事は歴史上一切言いませんでした。言うはずはありません。 「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」(ローマ4:19)、彼らの信仰は一切揺るがず、神を見据えて、主が必ず与えて下さると信じていました(ローマ4:20)。「このことは、彼が信じた神(ハシェム)、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。」(ローマ4:17)。 「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(ローマ4:18-21) 神の子よ。私は神の川から湧き出るこの力のメッセージをもたらします。「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、」黙示録22:1-2。それは、死んだものにいのちが吹きこまれ、不妊と思われる胎を生き返らせるのです。あなたの状況について、あなたの医者が言うであろう報告を私は知りたくありません。私(主)を聞きなさい。あなた方の状況はあなたのアイデンティティでもなく、あなたの名は「落胆」または「拒絶」でもありません。(イザヤ62:4)。神はあなたの利のため、あなたの証のために、状況を書き換える以上の事をしてくださいます。そして聖書はこう言います。「主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」(イザヤ書62:7)。信仰に立ちなさい!今リバイバルを受け取りなさい! 祈りの焦点:詩篇51、118。イザヤ書62。 (ヨアシュ・チョイ氏はエチオピアのゴンダールからのユダヤ人難民で、現在はケニア市民。彼は妻ベティと共に「希望の家」孤児院のディレクターを務めている。彼はケニアのキシイにあるメシアニック・フェローシップの牧師であり、癒やしと解放のミニストリーを行っている。彼は、ティックーン・アフリカ・ネットワーク・オブ・メシアニック・コングリゲーション(リバイブ・イスラエルなどが加わっているティックーン・グローバルとは現在関係していない)の代表でもあり、学校の教師でもあります。) (ヨアシュの伝統では、神の御名は使われず、代わりにヘブライ語の「ハシェム(御名)」が使われます。同様に、「主」の代わりにヘブライ語の「アドナイ」が使われます。)

January 2020

神さまのご計画通りの満ち満ちた様になる

By | 2020-01-31T15:53:38+00:00 January 28th, 2020|

神さまのご計画通りの満ち満ちた様になる 若い世代が「一人の新しい人」における彼らの使命にあって、その満ち満ちた状態となりつつあります。(エペソ2:14-16) 失われた世代 ペタッハ・ティクヴァの初期の頃、50歳以上の人々がイスラエルについて啓示が与えられているのに、あまり若い人たちには与えられていないのを見て、ショックを受けました。それは全世代がイスラエルと国々についてのイェシュアのご計画を理解できていないように思えました。世界のリバイバルを含む、聖書の内の80%がイスラエルについて語っているにも関わらず、何故このような事になってしまうのでしょうか? 障壁となり得るもの 教義/啓示 若い世代にはイスラエルについての教えが不足しているように思われます。それらの教えは、その土地や民を支援するだけではなく、その先を行き、地上の全ての国々における神の御国の回復を強調すべきです!その応答は、教会内の「イスラエルグループ」(多くは年配者)を実施したり、毎年恒例の「イスラエル日曜日」を開催する以上のものが必要です。イェシュアの再臨が近づく今、より大きな神さまの青写真を若い世代に伝える必要があるのです! 霊的闘いに疎い 同様に、多くの場合、欺きによるメディアの影響や、誤った神学や教義により、霊的闘いについての理解が不足しています。教会内で論争が起こるのを避けるため、イスラエルについて教えないと決めている牧師の方々と会ったこともあります。 不健康な「イスラエルファン」 多くの「イスラエルファンたち」が、若者たち(や牧師たちまでも!)を混乱させ、神さまのマスタープランの理解を妨げています。その混乱の範囲は以下を含んでいます: アイデンティティ:異邦人たちがユダヤ人のように振舞い始めることで過剰反応します。時によりそれは極端に走ります – ある教会では全員がユダヤ教に改宗し、メディアの注目を引いたのを見たことさえあります。イエス/イェシュアが、常に中心とされるべきで、ユダヤ人の習慣であるべきではないのです! 人々がユダヤ人やイスラエル製品等を偶像視すること。 分離:歴史における教会の反ユダヤ主義的役割についての理解により、 ある人々は教会から遠ざかります。多くの場合、如何なるリーダーシップに対する従順さもなく、そのレベルによりメシアの身体から分断された状態に陥ってしまうのです。 挑戦 これらの問題が示しているのは、多くの若者が最終的に混乱し、「なんでイスラエルのことを構う必要があるのか?」と思うようになることです。新興世代が攻撃対象となっており、敵の欺きが今まで以上に巧妙となり、霊的な洞察力がさらに必要となります。 分断の壁 イェシュアは、ユダヤ人と異邦人との分断の壁を破壊しました [...]

世界的なアライメントのまとめ

By | 2020-01-13T13:54:09+00:00 January 13th, 2020|

世界的なアライメントのまとめ アシェル・イントレータ アライメントについての私たちの教えが、イスラエルおよび世界中で注目を集めています。アライメントの書籍から、メシニック・ジューと異邦人クリスチャンの間における関係について、特に相互的な従順さ、パートナーシップ、相乗効果について、こちらに引用箇所を集めてみました。 9ページ、世界的なアライメントは 、イェシュア(イエスさま)の再臨に対して準備が整えられるよう、世界中の真のクリスチャンとイスラエルのメシアニック・レムナント(残れる者たち)の正しい関係性に密接に関連しています。アライメントは神さまの命令に対し従順となることで、この地上に主の御国の建設に対し、準備をすることなのです。 17ページ、私たちが優しい心と敏感な良心を持つとき、私は如何なる状況にあっても、この親密さと従順さを求めることとなるのです。 18ページ、アライメント(神さまに向かって方向性を揃えること)とは、全ての人が自分の場所を持ち、それぞれ機能し、それぞれが実を結ぶことが許されている命令なのです。 24ページ、悔い改めはアライメントの最初のステップです。 25ページ、イェシュアを主として崇めているかどうかが、私たちの個人的なアライメントが神さまのご計画と目的に合致しているかどうかを見るための礎石です。 27ページ、霊的なアライメントとは、モラルのアライメントです。 モラルについての洞察力の不足は、私たち多くの者をして「カリスマ派」が常軌を逸していると思わせます。聖霊さまは、「神秘的である」と言うよりも「道徳的である」のです。 43ページ、御国の完全な形での回復は、イェシュアの再臨時のみに起こるのです。 44ページ、私たちは使徒たちから委託された職権を全うするために召されています。私たちは彼らの始めた事を継続していくだけなのです。彼らの世代がその(委託された)大宣教命令を始動させたのです。そして私たちの世代が(願わくば!)それを完成させるのです。 56ページ、再臨の時には、この世の諸王国は、イェシュアと、義の道を歩むことを学んだ人々にその権限を移譲します。 64ページ、イェシュアは教会のかしら(エペソ1:22)であり、イスラエルの王(ヨハネ12:13)でもあります。 80ページ、 アライメントは、直接的従順に比べ、より軽い形態ながらも明確には従順な心が必要とされる権威である。問題は、組織的支配に関するものではなく、この終末の時代に主に仕える正しい方向性についてなのです。 90ページ、アライメントは、イスラエル人レムナントと国際的エクレシア(教会)の間における正しい関係を要求します。円の中に円があり、全てが平等なのです。アライメントは全ての人が含まれることを保証するために設計されたものです。 91ページ、宗教的先入観は民族的誇りをもって人々を疎外しようとしますが、契約的アライメントは、お互い個人個人を敬意をもって好意を持ち、全ての人を含めることを求めます(ローマ12:10)。 111ページ、私たちは使徒15章の評議会について、上の指導者たちがどのように会合を行い、お互いに服従して行くかの聖書的手本として注目します。私たちが「エルサレム会議」なのだと言っている訳ではありません。ただ上級指導者たちが、相互的で関係的なコミットメントや説明責任のため、少なくとも1年に1回は、会合を開くべきだと主張しているのです。 [...]

リバイバルのための2語からなる祈り

By | 2020-01-07T12:31:47+00:00 January 7th, 2020|

リバイバルのための2語からなる祈り 私は2語からなる素晴らしい祈りで、国のリバイバルをもたらすものを、発見しました。 ある国が偉大なリバイバルが起こる間際にあるとき、コングリゲーションやミニストリーにおいてある一定の成功レベルが認められます。人数が増え、更に多くの献金が集まり、霊的リーダーたちは有名になり、影響力を持ち、またある場合には裕福になり、名声を得ます。 この祝福のレベルは、エクレシアに国家的変革をもたらし得るツールを提供します。これは、女性が妊娠し胎児の時が満ちるように、必要不可欠なステージです。それでも本当の成功自体には、その中に障害が含まれていて、それらは同時に神の御国の成長を妨げたり、阻止したりします。 神さまの祝福の数々の内には、神を抜きにしてその祝福だけを求める事が、切り離すことのできない誘惑として付随しています。人は怠惰、肉欲、エンターテイメント指向、貪欲、傲慢、反抗になることが可能です。モーセはこの症候群について「エシュルンは肥え太ったとき、足でけった 」 – וישמן ישורון ויבעט - 申命記 32:15と言及しています。 この世的なものによる誘惑は、いかなる人間にとっても危険なものですが、しかし霊的指導者にとって特に危険なものが、2つあります:ねたみと争い。 ピリピ1:15  人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。 霊的指導者は、互いに張り合おうとする事は可能です。しかし国全体にリバイバルをもたらすために協力する代わりに、彼らはお互いを引っ張り合い始めています。神さまの御国へと触れられる新たな領域、新しい人々を求める替わりに、彼らは自分たちの資源や達成したことについて護りに入っているのです。 ねたみや争い、やがて指導者たちが互いに否定的に言い合うようになり;自分が比較的良く見えるよう、他人を非難するようになります。「霊的洞察力」や「信徒への警告」という外見のもと、無意識のうちに彼らは本質的には、お互いを呪いあい始めるのです。このことは神の人々の内に、分派や破壊をもたらします。 パウロがこれを書いたとき、牢屋の中にいました。彼のして来た全ての働きは他人により、引き継がれました(良い意図でした人も、そうでない人もいました)。ある人々は有名になり、彼のことを悪く言ったのです。彼は孤独で苦しんでいました。しかし問題に注目するのではなく、彼はその中にある祝福に着目することを選び取ったのです。 ピリピ1:18 すると、どういうことになりますか(英文聖書では「So what?/それが、どうしたのでしょうか?」)。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、メシアが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。 それです、国のリバイバルをもたらすことができる2語からなる祈りとは、「SO WHAT!/それがどうした!」です。もし、全ての指導者たちが互いにねたみや争いといった感情を無視し、誰か他人の働きが 成長し、多くの人に影響を与えているのを喜ぶとき、神の御国全体が大きく前にジャンプします。 このことは、全ての霊的指導者に必要な心の清浄化なのです。パウロは、アポロについてこのことを対処しました(第1コリント3章)。ペテロも、ヨハネについてこのことを対処し(例えイェシュアがペテロに十字架に架けられるように言い、ヨハネに永遠に生きるよう言ったとしても、自身をヨハネと比較しないよう、イェシュアはペテロを戒めました [...]

December 2019

分断されていない心:パート2

By | 2019-12-30T15:19:04+00:00 December 30th, 2019|

分断されていない心:パート2 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:38-42) ここには、分断された心(マルタ)と分断されていないもの(マリア)の図があります。キリストの身体の多くはマルタのようで、内側では分裂し、外側では様々な活動によって引きずり回され、この忙しさは主に喜ばれていると考え、主の足で待っている他の人は単に怠惰であるか、忙しい人と一緒に活動することを望んでいないと考えてしまいます。これは新しい現象ではありません。 モーセが主の言葉に従って、ファラオに「民が主を礼拝出来るよう、民を行かせてください」と宣言したとき、ファラオは、民が怠惰であると言って拒否します(怠惰:ヘブライ語)。そのために、彼らは主に犠牲を捧げるため仕事を辞めたいと考えたのです。主は民を労働者/奴隷から崇拝者/祭司に変えることを望んでいました。ファラオ(サタンの一種)は、額の汗を通して偉大な建物を建築するような「より建設的な」何かで忙しくするより、主を「単に」礼拝するのは怠惰であることを神の民に納得させようとしました。 サタンは常に、主を崇拝することは虚栄心や怠惰であり、神の王国を進める上でさえ、より重要で必要なことが存在することを神の民に納得させようとします。しかし、主はモーセと人々にエジプト(この世)を離れ、山の上で、彼にお祝いをするように行くように命じられました。 「ファラオは「その日、パロはこの民を使う監督と人夫がしらに命じて言った。『おまえたちはれんがを作るわらを、これまでのようにこの民に与えてはならない。自分でわらを集めに行かせよ。そしてこれまで作っていた量のれんがを作らせるのだ。それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。だから、『私たちの神に、いけにえをささげに行かせてください』と言って叫んでいるのだ。あの者たちの労役を重くし、その仕事をさせなければならない。偽りのことばにかかわりを持たせてはいけない。』(出エジプト記5:7-9) しかし、マリアは、分断されず、気を散らさない心で主の足元に座り、主の言葉に耳を傾けました。マルタは仕えたが、マリアは聞いた。マルタは奉仕(と不平)に引きずり回されたが、マリアは座って耳を傾け、彼女がそうした時、彼女は神を聞きました。ほとんどの信者は座って、主の御言葉を聞くのに十分な長さの耳を傾けません。彼らはあまりにも気が散りすぎて、心に分かれています。「人間はパンだけで生きるのではなく、神の口から出て行くすべてのレマによって生きるのです。」(マタイ4:4) マリアは、彼女の本当の人生は、主の心の豊かさから流れ出た言葉を聞く事にあると考え、無くなってしまうパンからではないことを学びました。彼女の肉はその言葉を聞いてそれを行う事でした。イエスは、私たちの最初の本当に必要なものは、主の言葉を聞くために主の足元に座っていることだと知っています。そして、主が私たちを導いてくださるすべてのことにおいて、主への奉仕は、カルバリーの愛の香りで世界を満たす香油をイエスの足に注いだマリアの行為によって完成します。 ユダがマリアの行為は無駄だと訴えると、イエスは埋葬の準備をしたので邪魔をしないようにと言います。マリアは、神の心、意志、タイミングと完全に調和し、自分の心の中で、主は世のために死ぬと聞いたことで、埋葬のために主の御身体に油を注いだ人物となりました。私たちはイエスの十分足元に座って、将来、主の来る日に備えて、現在主の言葉を聞いているでしょうか。 真の神の愛は、主と他の人が一部分しか合わない、分断し、気が散った心から決して流れ出ることはありません。真の神の愛は、測る事のない、最低限もない、全き癒された心全体からのみ流れ出、贅沢にそれを主に注ぎます。その性質上、神の完全な愛は決して一部分だけを流れる事はありません。 「というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分(別の語根では心配/分断)だからです。完全(終了;全体;成熟;キリスト自身)なものが現われたら、不完全なものはすたれます。(1コリント13:9-10) 「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」(1コリント13:12) 私たちの心がすべての分裂を手放す時、私たちが本当に望み、完全な遺産の中を歩くことを望む時、新しい心の中で、完全に回復し、キリストの心の中で、私たちはもはやぼんやりと見るのではなく、面と向かって見るでしょう。私たちは今まで知っていたかのように知り、互いを神の御霊/心のように知り、古い傷や打ち砕かれた自分自身を通してでは見る事はないでしょう。 ですから、私たちは完全を目指して進み、私たちの前に置かれた希望を抱いて行きましょう。

成熟-「有毒な民族主義」から「チームを越えて」

By | 2019-12-08T15:00:47+00:00 December 8th, 2019|

成熟-「有毒な民族主義」から「チームを越えて」 「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」(1コリント13:11) 小さな子供は、実際にどれほど小さいかという視点を持たずに、自分の世界の中心だと考えます。彼ら自身の意志と願いが最も重要です。同じ部屋にいる2人の幼児は、お互いに関わらず、自分のゲームをプレイし、空腹時に食べ物を要求し、食べた後それを片付けず汚れたままです。彼らは物事を行う自分の方法を持っており、その方法が唯一の方法です。非常に小さなことに、彼らは注意を引き、それによって彼らは泣いたり笑ったり、嫉妬したり悲しんだりします。彼らはその瞬間を感謝するだけで、より大きな視点で感謝しません。大人の目には、これは「子供っぽさ」であり、「子供らしさ」または「無垢」とは違います。 大人の「子供っぽさ」の現れは「有毒な民族主義」である―私の民族、私のグループ、私の家族は、正しいか間違っているかにかかわらず、代償どうであれ成功しなければなりません。それは、民族が神の目に重要ではないと言うのではなく―聖書は神が世界の民族と関わっていることを明確に示しています。-「有毒な民族主義」は健全な民族のアイデンティティの変形です。 パウロがこの箇所で述べた後に「成熟」について話すのは偶然ではありません。「預言」、「異言」、「知識」はすべて過ぎ去る(13:8)–これらは部分的かつ一時的です。私たちの世界は言葉や意見であふれており、意見を持つ者は常に正しいです―少なくとも私たちの目には。2015年のワシントンポストの記事によると、インターネット全体を印刷するには305,500,000,000ページかかります-大満足な読書量ですね! 意見は預言に影響を与えます。私たちは人間なので、私たちは、神への完全に開いたチャンネルを持っているのではなく、「部分的に知り、預言する」だけです(13:9)。同時に、わたしたちは預言を軽視しないように指示されます(1テサロニケ5:20)。預言は大切だが、最も重要なことではありません。 パウロは成熟、成人期、大人である事を、より永続的なものと結びつけています。「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(13節) 世界は、信仰と希望に満ちた、本当に愛する「父たち」を必要としています。父たちは、自分の民族の必要性を超えて、自分のニーズを超えて、より大きな神の御国の絵図を見るのです。彼らの会話は、自分自身、自分の意見、自分のグループ、自分の利益、自分の栄光に絶えず戻る事はありません。彼らは他人に焦点を当てるために、自分自身の正当な焦点を犠牲にさえします―他の人が要求したり、強引であっても。彼らは未熟な人々や罪の中にある人々でも受け入れ、彼らがコントロールする必要はありません。 政治の世界では、そのような人々は「政治家」と呼ばれます―自らの政党と再選を超えて見る事の出来る政治家です。メシアの御身体では、これらの人々は正真正銘の「使徒ら」であり-コングリゲーションや教会の設立において、地元を超えて責任を持ち、多くの場合、自分自身が大きな代償を払って、様々な種類のチームを指導します。家族の中で、そのような人々はもちろん「父親」であり―虐待的でもなく、不在でもなく、物理的にも感情的にも存在します。そのような人は「子供じみたやり方を捨て」、「男になる」と言います。 終わりの時の神の第一の目標は、あらゆる分野での最後の世代の父親を育て、暗闇の高まりに立ち向かい、彼らの保護下にいる人々を守ることです。メシアの御身体は、彼らのために執り成しをし、認識し、支持する必要があります。彼らの存在がなければ、暗闇の淵に滑り落ちてしまいます。これがあなたならば、最も低い場所から今こそ立ち上がる時なのです! 「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」マラキ4:5-6

ロバに乗ってエルサレム入城

By | 2019-12-01T14:18:03+00:00 December 1st, 2019|

ロバに乗ってエルサレム入城 イエス(イェシュア)は、異なった種類の王国を率いる異なった種類の王です。主の御国の一部として、私たちは異なった種類の国民となるべく召されているのです。 マタイ21章では、イエスさまは謙遜と権威を同時に示されました。彼は、仔ロバと共にいる母ロバを連れてくるよう、弟子たちに言いました。「もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」(マタイ21:3)、 なぜイエスさまは馬にではなく、ロバに乗ることを選ばれたのでしょうか?馬であれば、印象がより強かったでしょう。イエスは、戦車付きの軍馬に乗った、支配者なる王としてとして来られたのではありませんでした。永遠を通じて最も偉大な指導者は、象徴の重要性を理解しておられました。ロバは謙遜と平和の象徴だったのです。 主の方法はいつも最善 この世の人とは違ってあるように、私たちは召されています。イジメる側に立つのではなく、弱い者のために立ち。ウソで覆うのではなく、真理を語り。不平を言うよりは、感謝の心を持ち。面倒くさがるのではなく、心から仕え。辞めてしまうのではなく、堪え忍ぶのです。私たちが人とは違って行動するよう、王なるイエスさまが召しておられます! イエスさまが、ロバに乗りエルサレム入城されたとき、その何百年も前に語られた預言が成就しました: シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。(ゼカリヤ9:9-10) なんと素晴らしい 「しもべなる指導者」のお手本なのでしょうか?主こそは自己犠牲の愛により、その民の心に語り掛ける王なのです! 謙遜になり、誰に権威があるか知りなさい 後日、神殿の庭を強欲と不正のために悪用していた人々を追い出すため、イエスさまは権威を用いました。謙遜は弱さとは違うということを、勘違いしないでください。また、従順さとは制御された力なのです。ご自身の権威を知りつつ、イエスさまはこの制御された力を行使されたのです。彼は優柔不断だったのではなく、義なる行為を行ったのです。 イエスさまは、正当な権利としてお怒りになりました。つまり神殿を礼拝の場所として、回復しようとされたのです。イザヤ56:7から引用し、マルコ11:17で、「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」と仰いました。 イエスさまは神殿のあるべき姿に回復するため、断固とした行動を起こしました。彼は謙遜の人であり、同時に権威を持っておられました。私たちは主の足跡に従う様に召されているのです。

November 2019

完全な円:時間と地理における神の救いの計画

By | 2019-12-26T14:30:22+00:00 November 23rd, 2019|

完全な円:時間と地理における神の救いの計画 イザヤ59章は、時間と地理を通じて神の救済計画を包括しています。 この章は、イスラエルの多くの罪を詳述する預言から始まります。(1~15a節)その後、15b~16a節は、神の対応に移る前に、神の民に関する神の悲しみを示しています-両方の「救済」(十字架の事)、そして神の完全な戦士として鎧で武装した神の御子を通しての裁き(16b~18節)について述べられています。18節は、主がイスラエルだけでなく、世界の反逆を裁くことを示しています。その後、私たちは特別な19節に至ります: そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。 み言葉がまず西を指し、次に東を指していることに注意してください。堕落の罪、恥と悲しみの後、アダムとエバは東に住んでいました。しかし、アブラハムは、救世主を求める賢者と同じように、約束に従って西に向かって旅をしました。人々は西で「主を恐れる」ことを始めました。使徒行伝で、パウロは聖霊によって東へ、アジアのローマの州(今日のアジアを意味しない)に行くことを止められたが、マケドニアの男の夢を通じてヨーロッパに、西に呼び出されました。彼は後にローマで生涯を閉じた。紀元4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌスは、主に西方面の帝国のキリスト教化に重要な役割を果たし、ヨーロッパの大部分でローマ教会の成長への道を開きました。 イザヤの西方の「洪水」は、勢いを作り出すのに時間がかかりました-ヨーロッパのローマ教会は腐敗し、16世紀のプロテスタント改革は、大陸の西と北の隅に信仰のより聖書的な表現をもたらしました。その後、17世紀にヨーロッパでの信仰の自由を実践することができず、清教徒たちはキリスト教が栄えたアメリカに逃げました。そこは、ユダヤ人にとって最大の故郷でした。 すなわち、西では「主への畏れ」が中心的な基盤であり、秩序、規律、正義を社会組織にもたらしてきました。アメリカの信仰が神から離れるにつれて、福音の流れはさらに西に向かって進み、太平洋諸島の美しい海岸に飛び散り、多くの食人族の子らがイェシュアを王として受け入れました(アフリカとラテンアメリカに南下し、ロシアに北上した)。その後、1977年から1997年まで、韓国の教会は世界で最も急速に成長し(そして興味深いことに、まったく同じ年、経済も最も急速に成長した)、人口の3分の1が仏教から主に立ち返りました。 これらの「日の昇る」土地で強調されているのは、常に神の高揚した素晴らしさと威厳でした-「彼らは主の栄光を拝します」 福音が劇的に広がる「洪水」は西方へと続いています。中国は迫害を通じて、今日1億人以上の信者がおり、10万人の宣教師を西に派遣する計画で、人類史上最大の教会へと成長しました。ネパールの教会は1980年代に文字通り一握りから成長し、今日では最大100万人と見積もられています。1980年代後半の共産主義の崩壊に続いて、中央アジア共和国の多くは主に向かいました-福音は仏教、ヒンドゥー教、無神論等の古代からの障壁を打破し、現在はイスラム教世界へと伝わっています。今日、世界で最も急速に成長している教会は、大迫害を経験しているアフガニスタンとイランであり、「オペレーション・ワールド」の統計によると、それぞれ16.7%と19.6%の年間成長を遂げています。「オープンドア・USA」の統計ではイランの信者は800,000としています。 そこで、古代のシルクロードに沿ってエルサレムに戻り、いくつかの障壁はまだありますが、イザヤ59:20に到ります。 「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ―― パウロはローマ11:26b-27でこれらの言葉を引用し、聖霊の流れが地球をぐるっと一周し、完全な円になるとき、それはイスラエルの時が来たことを表します。 「その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。」ローマ11:25-26a 「こうして」という単語は、原因と結果を示すキーです。異邦人の完全性、世界的な迫害、執り成しの祈り、イスラエルを妬ませる異邦人、終わりの時の世界的な収穫、(「こうして」)「すべてのイスラエル」の完全な悔い改めと贖い主がシオンへの帰還につながるのです。私たちの叫びに応じて主がシオンに戻ります。「バルーフ・ハバー・バシェム・アドナイ。」 ですから、主の破られない契約(21節)によれば、イスラエルと国家の完成、東、西、南、北は、まもなく一緒に「主の御名を恐れる」と「主の栄光を拝する」のです。

地の果てまで

By | 2019-11-12T12:35:53+00:00 November 12th, 2019|

地の果てまで 使徒行伝は、エルサレム、ユダヤ、サマリアと地の果てまでの福音の広がりを記録したものです(使徒1:8)。 1つの地域で始まったものは、30年で小アジアを経由してヨーロッパの主要都市に拡大し、数万人強に増えました。 この拡大は6 段階のパターンで見る事が出来、それぞれの段階はその進捗状況が記されています。 使徒1:1-6:7は教会の誕生とエルサレムでのペテロの説教を伝えます。 進歩報告書:「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」 使徒6:8-9:31は、ユダヤ地方での福音の広がり、ステファンの殉教、ガリラヤとサマリア地方での説教を伝えます。 進捗報告:「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」 使徒9:32-12:24パウロが改宗し、コルネリオとその家族、カイサリアでの異邦人が神の家庭に受け入れられ、福音はアンティオキアに広がります。 進捗報告:「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。」 使徒12:25-16:5は、パウロの宣教旅行を通して小アジアを通って福音が伝えられ、ガラテヤ地方に達します。 進捗報告:「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」 使徒16:6-19:20福音はコリントやエペソのような偉大なヨーロッパの都市に広がります。 進捗報告:「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」 使徒19:21-28:31で福音は当時の世界の中心であったローマに達し、パウロは自由に福音を延べ伝え、投獄中に重要な手紙を書きます。 進捗報告: 「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」 紀元1世紀の福音の進歩は、今日の私たちを励まし、福音がエルサレムに戻り、すべてのイスラエルが救われる中で、この逆の順序を含む同じようなパターンを繰り返えされるという信仰を与えられるのです。

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