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May 4th, 2020

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イエシュアの第一の啓示:エホヴァ、イエスそして裁き

イエスの御名の原語はイエシュア–ישוע。です。イエシュアはヨシュアの短縮形で、その原語はイェホシュア–יהושע。です。イェホシュアとは、「エホヴァが救われる」という意味で、エホシャファットがיהושפט「エホヴァは裁かれる」という意味となります。

ほとんどの人々はそれを知りませんが、YHVH又はエホヴァという名はイエシュアの御名の中に含まれています。イエシュアが私たちを救うために来られましたが、また、主は裁き、戦い、諸国を支配されるために再臨されます。(黙示録1911-16)。

終わりの時の出来事を見ていくと、そこには大変な災いや裁きがあり、それらは私たちのほとんどにとって、神学の枠組みや神がどういうお方かという理解を遥かに超えるものです。

終わりの時の出来事と出エジプト記の出来事には、平行する共通点がたくさんあります。あるラビは言いました。「最後の贖いは、最初の贖いに似ている。」メシアが来られる事と世界の終わりは、出エジプト記の中のパターンに基づくものとなります。モーセがメシアの役割を果たしたように。

出エジプト記では、神は壊滅的な災いをエジプトにもたらしました。それは、彼らの帝国を破壊するため、彼らを悔い改めさせるため、そして、人々を解放するためでした。神は人(モーセ)を用いてそれらの災いをもたらすための権威を行使しました。(災いのヘブライ語は「マコット(מכות)」その意味は「打つ」です。なので、「十の災いは」「十の打撃」とも訳せます。)

災いはまた「破壊者」による攻撃とも説明されています。(出エジプト記1213)。しかしながら、出エジプト記の強調点は、この災いは神による罰であり、それは神の人類の代表によって実行され、すでに決定されている目的のために行われました。各災いの最初と最後はモーセとアロンによって制御され、彼らは神からの直接の命令に従っていました。

これらの種類の出来事は終わりの時に再び起こります。(ダン・ジャスター師の「黙示録:過越の祭の鍵」を参照)ファラオの帝国のような悪の反キリストの帝国が存在する事となります。神はその帝国を巨大な裁きによって破壊します。災いには3つの主要な目的があります。

  1. 差し迫った破滅を邪悪な者への警告
  2. 罪人を悔い改めと救いに導く
  3. 聖徒をより偉大な信仰と純粋に昇華させる

神は地上のご自分の民に、主の裁きに積極的に同意して欲しいと望んでいます。私たちは信仰によって神と協力するのです。モーセとイスラエルの民がそうしたように。私たちの神の理解にどう整合性が取れるのでしょうか。

私たちは神の優しさと厳しさ両方を受け取らなければなりません。(ローマ1122)神がどういうお方であるのか、私たちの理解を拡大させなければなりません。終わりの時の出来事を理解するために、これらの終わりの時に働かれる神のご性質を理解しなければなりません。イエシュアがどういうお方であるのかが、黙示録の第一章でそれは黙示録の出来事に先立って明らかにされています。

Whenイエシュアが誕生した時、人々にとって神が人の形、普通の栄光をまとわない姿を取る事を理解するのが困難でした。主が死者から復活した後、難しい弟子にとって主がどういうお方なのかを理解するのが困難でした。主は異なった姿で来られ、彼らが主を認識するのに追加の啓示が必要でした。(ルカ2413-5)。

出エジプト記61-8モーセにも似たような経験しました。神はモーセに、神は、人々には「エル・シャダイ」という名で知られていたが、YHVH(エホヴァ)という名では知られていなかったと伝えました。主は続けて、5または6つの方法で国に裁きと贖いをもたらすと述べました。それはYHVHの御名の特性を表しています。

私たちは今似たような状況にあります。私たちはイエシュアを、ガリラヤ湖の湖畔を歩く人として知っています。しかし、主をYHVH-イエシュア、天の軍勢の司令官、全地の裁き司、神の怒りを実行する者、偏在する、全支配者である王としては知っていません。

私たちの前に展開する出来事に対処するため、私たちはイエシュアがどのようなお方なのか、その理解を劇的に変える必要があります。これは、パトモス島にいたヨハネに起こった事でした。ヨブも嵐の中の主という、似たような経験をしました。モーセも燃える柴で、弟子もエマオへの路上で似たような経験をしました。

ヨハネはパトモスでの経験で衝撃を受け、変えられました。私たちは皆個人的なパトモス的な経験をしなければなりません。もし私たちが黙示録のイエシュアに対処出来なければ、黙示録の出来事にどう対処できるでしょうか。

今こそこれが起こらなければなりません。これは、変革への重要な「カイロス」の時なのです。黙示録第一章を読んで理解しましょう。そうすれば、黙示録の出来事を受け入れ、経験する事が出来ます。

律法と預言書では(訳者注:旧約聖書の事)エホヴァ-御使いは、イスラエルの外では、主は栄光の神的な姿で現されますが、主がイスラエル国内にいる時、普通の人の姿を取られていると私は思います。(私の本「誰がアブラハムと食事をしたのか」の、御使い-エホヴァが30か所以上現れる事の説明をどうぞご覧ください。)

イエシュアは二つの姿を取りました。一つは栄光と炎をまとい、もう一つは、栄光をまとわない人の姿でした。最初に主が来られた時は、普通のへりくだった姿で、ロバに乗られました。(ゼカリヤ書99、マタイ211-9)。しかし、再臨の時は栄光を受けた神の御姿で、目に炎を灯し、白い馬に乗ってこられます。(ダニエル書713-14、黙示録1911-16)。

私たちは、ウイルスの蔓延にどう対処したらいいのか分かっていません。黙示録には1/3の自然が破壊され、1/3の人類が死に絶えるとあります。(黙示録913-18161-9)!黙示録の出来事を理解するためには、私たちは黙示録のイエシュアを理解しなければなりません。

ユダヤ人の多くは、イエシュアの初臨時で誤解しています。多くのクリスチャンは、主の再臨を誤解する可能性があります。これは、もはや神学的な問題ではないのです。私たちは終わりの時に差し掛かっており、私たちは理解of終わりの時のイエシュアを理解しなければなりません。

モーセがエジプトのファラオと対峙する前に、彼はエホヴァの裁きと贖いの大いなる方法を理解する必要がありました。私たちが終わりの時を迎える前に、またイエシュアを、「エホヴァであるイエス」と理解しなければなりません。エホヴァの裁きと贖いの大いなる方法はまたイエシュアの中にあり、それを私たちがまだ気が付いていないのです。

エホヴァがモーセとアロンを遣わして悪のファラオの帝国に対峙させたように、エホヴァであるイエシュアは私たちを遣わして終わりの時の獣の悪の力に対峙させます。(黙示録118)。エホヴァの名の権威がイエシュアの御名の中にあります。出エジプト記の時の、出エジプト記の叫びを上げようではありませんか。「我が民を行かせよ」

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By | 2020-05-04T12:43:41+00:00 May 4th, 2020|0 Comments

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