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November 1st, 2019

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ナチスの歴史がリピート?それとも御国のリバイバル?

時に、私たちは周りの環境に慣れ親しみ過ぎて、それに気付かなくなってしまいます。美しさに対して慣れてしまいますが、醜いものにも慣れます。欧米では、既に何世代にも渡り、啓蒙主義を源流とする世界観に影響を受けた人たちが、産まれ、人生を送り、死んで行きました 。その啓蒙主義とは、18世紀に起こった哲学的・知的運動で、「神」を「原因」や「知識」で「置き換える」ものです。今日、我々は人間の「道徳心」を神さま抜きで語る時、「世俗的な人道主義」という用語を用います。この世俗的な世において、私たちの学校、大学、ビジネス、政府で「神」の居場所が殆ど無くなってしまいました。今この世俗的システムは、グローバル化した社会と現代メディアにより、欧米諸国さえも越えて発展しています。

イェシュアの時代には、頑固者のサドカイ派は天国や超自然的なことを信じておらず、実質的に人間中心主義で、「世俗的人道主義」の初期形態であったのです– 結婚と復活についてイェシュアが教えておられるメッセージ、マタイ22:23-33(リビングバイブル版、以下のリンクも同様)をご覧ください。このことは同様に頑固者であったパリサイ派には当てはまらず、彼らは天国を信じていたのです。

イェシュアが来られたことはサドカイ派とパリサイ派の両派に激震をもたらしました。彼の「人の子」としての描写は、この世に住んでいる私たちの関心に訴えかけてくる一方、彼の称号「神の御子」は、私たちに天の御国と超自然性について思い起こさせます。イェシュアは事実、「人の子」(マタイ8:20; 9:6; 11:19その他)であり、また「神の御子」(マタイ27:43; ルカ1:35; ヨハネ1:49-50 その他)の両方であったのです。

妥協しない

第二次世界大戦前のドイツでは、ルーテル教会が国の宗教を支配していたので、ほとんどの人はルーテル派でした。悲劇的なことに、ヒトラーのナチス党はこの教派が、影響や、侵入や、支配を受けやすい事を知りました。妥協せずに、残されたのは、聖書に忠実な「告白教会」でした。

告白教会の牧師ディートリッヒ・ボンヘッファーは、Ethicsという著書の中で、ルーテル派が「2つの(異なる)領域で思考している」と批判しています。「下層領域、すなわち地上的領域」はビジネス、政治、行政に関連する一方、「上層領域、すなわち天的領域」は、祈り、礼拝、教会出席に関連します。上層領域についてのみ、ルーテル派は関心を持っていて、ナチスが下層領域を好きな様に支配するに任せている – 「それ程、天的思考であるにも関わらず、地上的には全くダメ」だったのです。そのためナチスが、例えば、ユダヤ人の商売を没収したり、ユダヤ人を社会から追い出し、最終的にはガス室に送ったりしていた時に、ルーテル教会はそれに反論する神学的基盤が殆ど無かったのです。

憂慮すべき事に、私たちの現代人道主義世界は、ナチスと似通ったDNAを持っていて、極悪となる可能性を秘めています。聖書的信仰とユダヤ-キリスト教的価値観は端の方に追いやられ、中傷されており、最終的にその支持者、つまりキリスト教会、ユダヤ民族と国家は迫害されるのです。サドカイ派がそうであったように、この世のシステムは、「地上的な領域」に関心があり、「天的な領域」には関心がないのです。

私たちの応答

今日、全世界のメシアの身体は、その多様な表現において、5つの方法で応答する必要があります:

1に、私たちは同時に両方の領域に立っている事を確認する必要があり、また「この場所・現在」と「永遠」についても配慮すること –「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」–マルコ12:17。私たちは、政治、ビジネス、生命倫理、性別問題、貧困、環境問題に対し、影響を与え、関わって行くべきで、その上で祈り、礼拝し、伝道するのです。

2に、私たちは端に追いやられたり、黙っているべきではなく、公に討論を行うべきで、そうすることで、やがてサタンの王国が分裂し、転落していきます。パウロは、使徒23:6に記録されているように、エルサレムでサドカイとパリサイ、両派のユダヤ人指導者たちと討論したときに、この事を行いました。彼自身が「死者の復活という望みのことで、さばきを受けているの」だと宣言しました。また使徒24:21で、世俗的ローマ人為政者の前で、この訴えを繰り返したのです。もちろん、パウロは地上的領域も配慮していましたが、サドカイ人とローマ人に天的領域を考慮するよう挑戦し、それらイェシュアに反対する人々を分裂させたのです。

3に、私たちは他の宗教を奉じる人たちで、例えばその宗教の暴力性や不適切性のため、彼ら自身の信仰に不満を抱いている人々に、伝道する必要があります。例えば、多くのイスラム教は彼らの言う「天的領域」から無宗教的な「地上的領域」に移動し、単に世俗的になっていっています。イェシュアは、彼らにとって第三の、本物の選択肢を提供しています。

4に、私たちは、この地上で天的領域が行われるよう、実行でフォローしつつ、「御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」と祈る必要があります。

これらの事をすることで、私たちのコミュニティや街でリバイバルが起こる事を早めることが出来、ひいては深い国家レベルの変革をもたらし、神の御国が「天にあるようにこの地にも」来るのです – マタイ6:10。なので、私たちの5 のアクションは、これらのことを考慮して、期待して答えを待ち望みつつ、主の祈りを祈ることです。

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By | 2019-11-06T14:52:48+00:00 November 1st, 2019|0 Comments

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