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April 10th, 2020

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過越の祭の世界的なアラインメントと最後の晩餐

訳者注:アラインメント:神のご計画、神の意志に人が合わせる事

何年も、神は私たち、聖霊が内に臨在する世界の信仰の家族を一つにまとめようとされています。私たちはこのビジョンヨハネ17章にあるイエシュアの祈りから受け取りました。それは、神の愛によって皆が一つになるようにというものです。私たちは国際的なエクレシアの現実を経験しています。互いに対する愛が深まるほど、信仰の交わり、コイノニア(小規模な集まり)、そして聖餐式はその質とも量ともかつてないほど成長、改善しています。

私たちはまた、ユダヤ人、アラブ人、そして諸国の人々との間の契約的関係を伴う戦略的アラインメントに入って行っています。そのような世界的な関係の傾向は歴史のどの段階でも起こって来ませんでした。

私たちは今、この国際的な交わりを、神の歴史的な契約の秩序、聖書のカレンダー/暦そして預言的なパターンに沿うよう求めています。しかしながら、どこでも私たちがユダヤのルーツ、世界的なアラインメント、聖なる日々などを話す時、私たちは十分に気を付けなければなりません。それは、すぐにでもバランスを崩してしまうからです。どちらの側でも間違いが起こります。それは、ユダヤ文化に寄せすぎる事や、ユダヤの例祭や象徴にある聖書の重要性を拒否する事です。

私たちが世界的な聖餐式を神の契約パターンに沿わせる時、そこには大いなる霊的な力が解放されるものと信じます。正しいアラインメントは、私たちが正しいバランスを維持する事が求められます。

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中央の水平の線–世界的な家族、諸国での聖餐式、この線は全世界を横切ります。これこそ私たちが先週行ったもの–147ヵ国から120、000超の件のオンライン接続がありました。

諸国での聖餐式と過越の祭が交わるところが最後の晩餐です。最後の晩餐は聖餐式でしょうか、それとも過越の祭のセデル(夕食)でしょうか。それは両方でした。ユダヤ共同体とクリスチャン共同体は分裂し、一方は聖餐式に行き、もう一方はセデルに行き、それを合わせる力はありません。

それらを一つにするには、つなげるピン留めは最後の晩餐です。これは完全にユダヤの過越の祭であり、完全にクリスチャンの聖餐式です。このつなぎ目ピンは諸国のエクレシアの聖餐式と過越の祭の契約の食事、すなわちイエシュアと弟子たちの最後の晩餐なのです。

過越の祭と聖餐式は共に最後の晩餐です。この二つが一つになり、同時にそれぞれの特性は維持されます。私たちは二千年間の分離の後、過越の祭と聖餐式を一つにまとめたいと思います。最後の晩餐は交差点なのです。最後の晩餐を理解する事は、聖餐式が過越の祭にアラインメントされる事を表します。

世界中のクリスチャンはユダヤの過越の祭のセデルを守らなければならない、という事ではありません。しかしながら、過越の祭は諸国のクリスチャン聖餐式の源流であり土台なのです。私たちは、クリスチャンに、最後の晩餐をその正しい文脈の中で理解する事によって、過越の祭の中にある契約的土台に再度合わせていくことをお願いしているのです。

ユダヤの世界では、私たちは、過越の祭は最後の晩餐において成就と考えています。過越の祭の小羊、ワインの盃、マッツァ(種無しパン)、などの象徴–全てはメシアであるイエシュアにおいて重要性を持つのです。イエシュア抜きに、過越の祭の象徴は預言的な意味を失います。

最後の晩餐は過越の祭における成就であり、最後の晩餐は聖餐式の土台です。両者は二千年間分離したままでした。今や、諸国のエクレシア、メシアニックジューとクリスチャン・アラブ人を含めて、私たちはこれら二つの大いなる要素を元の一つに戻す機会が与えられています。

これは、歴史をさかのぼって過越の祭を理解するクリスチャンだけの問題ではありません。私たちが過去を理解する時、私たちがどういう未来に行くかが分かります。それは弓矢のようなものです。弓を後ろに引き絞り、矢は前に飛ぶのです。

聖餐式は超自然的な霊的経験です。しかし、その契約的ルーツ抜きで頂く時、そこには何の預言的な指示はありません。最後の晩餐を通して聖餐式が過越の祭に沿わせる時、ベクトル(進路)が形成されます。過越の祭は最後の晩餐に、そして聖餐式に、ある方向に共に指し示す事となるのです。

過越の祭の意味は過去、現在、そして未来です。ラビでさえも、過越の祭は単にファラオやピラミッドなどの過去を覚えるだけのものではないと教えています。過越は、完全な国の贖いとメシアの来臨を期待する事だと教えています。それには、メシアの御国の未来が含まれています。

クリスチャンの聖餐式を契約的源流であるユダヤの過越の祭に沿わせる事は、私たちが終わりの時のイベントに備える事が出来るのです。出エジプト記の物語の要素は、私たちにイエシュアの再臨について教えてくれます。

過越の祭には二つの部分があり、最初は小羊の血による救いであり、そして、紅海における軍事的勝利です。個人的贖いはイエシュアの初臨で成就し、完全な贖いは主の再臨によって成就します。神のパターンに合わせる事は、私たちを正しい方向に向かわせ、終わりの時とイエシュアの御国が訪れる事に対する準備を可能にします。

エジプトから様々な人種の集団が出て行きました(出エジプト記12:38)。それは最初からまさしく神の目的でした。-主は人々の集団を求めていたのです。このような複数の集団は最終的に大いなる集団となり、誰もそれを数える事が出来ません(黙示録7:9)。神は、「特別な人々」と、各国からの忠実な祭司職(出エジプト記19:5-6、第一ペテロ2:5、黙示録1:6、5:10)望まれています。

ユダヤ人、アラブ人、そして各国の民族集団はその「特別な人々」に含まれます。一人一人や、各民族グループは、神の家族では等しく扱われます。諸国のエクレシアが正しいアラインメントに合わせる事で、大いなる力が解放されます。神の栄光ある目的が、主の子どもたちに皆示されるのです。

ユダヤ人とアラブ人はアブラハムの子孫です。彼らは神の家族の最初の2部分ですが、ある意味では最後に回復する2部分なのです。この最後の2ピース–アラブ人とユダヤ人-世界的な家族の中に収まると、パズルは完成するのです。

ユダヤ人とアラブ人は過越の祭の物語では敵でした。聖餐式では、ユダヤ人とアラブ人は小羊であるイエシュアの血によって和解するのです。今や、私たちは敵ではなく、パートナーとなれます。最後の晩餐によって、過越の祭に聖餐式がつながる時、諸国のエクレシアの聖餐式が正しくアラインメントされます。ユダヤ人とアラブ人が契約的パートナーシップを結ぶ事が出来た時、世界的な神の家族は完成するのです。

私たちがこれらの関係に加わり、正しくアラインメントされる時、大いなる霊的なリバイバルの相互作用が解放されると信じます。

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By |2020-04-10T14:13:25+00:00April 10th, 2020|Comments Off on 過越の祭の世界的なアラインメントと最後の晩餐