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放蕩者のための祈り

放蕩者のための祈り 放蕩者は主に知られており、愛されている者ですが、この世の誘惑に流され、主から離れた者の事です。あなた方が祈れる事には限界があります。それは、その個人の自由意志が、神に反抗しているからです。神は誰に対しても信じるように強制する事がありませんが、その人が神の愛へ戻らせるのを助けるために、私たちは全ての自然的、超自然的要因を用いる事が出来ます。 ルース・ベル・グラハム氏が「放蕩者と彼らを愛する者たち」(家族に焦点を置く1991年p150)で引用しているように、スズメバチの巣に出くわしたら、あなた方は自分の意志に反するような行動を取らないで、そこから逃げ出す意思は働くでしょう。ここに祈りの聖書の戦略があります。 茨の茂み(ホセア書2:8)-神はホセアに彼を裏切るであろう不品行な女性と結婚するよう命じます。そして、主はホセアに、妻が罪に陥る道へ行く事を阻害するような難しい状況を祈るよう命じます。この祈りによってホセアが、人類によって裏切られるという神の感情を理解する事が出来ました。 愛の綱(ホセア書11:4)-神は、人々が罪を犯し続けている中、主ご自身へ惹きつけ戻す事を期待しつつ、継続して人々に優しさを表しました。私たちは積極的な自身への恵み(訳者注:神が恵みを与えて下さる事)がある事を示し、他の人々が放蕩者の道(訳者注:放蕩息子が神の元に立ち返り、許される事)へと導き、彼らに神の愛へ戻らせるために共感する心を示すべきでしょう。 良心に敏感になる(第二コリント4:2)-神的な真理は個人の良心に顕われます。私たちは心の中で正しいか間違っているかの感覚があるよう祈ります。そうする事によって、放蕩者は何が倫理的で何が不品行なのか違いを判別する事が出来るようになります。 悪魔による盲目を縛る(第二コリント4:4)-罪は非常に非理論的であり、常に人々をだます悪魔からの嘘が付きまといます。これはとりわけ苦痛です。それは、嘘はいつも放蕩者のために祈っている人、またはその放蕩者の、いのちの義、権威を代表する者に対し中傷するからです。 罪へ落ちる道を御使いが妨害する(民数記22:22)-神が御使いを遣わして、バラムが罪へ陥る道を防いだ時のように、私たちは御使いに自分の愛する者が罪へ陥らないようその道を塞ぐよう祈る事が出来ます。これは、彼らを事前に防止させる事は出来ませんが、彼らがその道へ行くのを思いとどまらせる事が出来るでしょう。 御使いに守っていただく(第二列王記6章)–エリシャが自分のしもべが、守ってくれる御使いが彼らを取り巻いているのを見る事が出来るよう祈ったように、私たちも、愛する者が、自分の罪が露わにされて危険から守られるよう祈る事が出来ます。 悪魔を彼らから遠さげる(マタイ15章)–あるカナン人女性は自分で祈れない娘のために祈り、悪魔は立ち去りました。それは病気の事であり、罪ではありませんでしたが、そのように私たちは、意図的に罪を犯そうとしている者の解放を祈る権威は弱いですが、それでも彼らの活動を一部制限する事が出来るでしょう。 聖霊が注がれる(ヨエル書2:28)-聖霊が、献身した信者だけでなく、全ての肉なる者に注がれます。全ての肉なる者には、強情な友人や家族が含まれます。人に宿る聖霊の炎は燃えますが、全く聖霊に影響されないよりはましです。 聖霊が思い起こさせる(ヨハネ14:26)-イエシュアは、弟子たちに主の教えを聖霊が思い起こさせるように祈りました。聖霊には思い起こさせる能力があります。主の教えを知っている者で、主から離れてしまった人々に対し、私たちは、たとえ今学んでいなくても聖霊が、過去彼らが聞いた事の記憶へと引き戻すよう、祈る事が出来ます。 肉欲が嫌なものとなるよう(民数記11:20-34)-神はイスラエルの子らに、彼らが望む肉を与えましたが、彼らがまだ食べ終わらない内に、彼らはそれを厭うようになりました。神から離れた放蕩者のほとんどは、肉の欲望の快楽によって離れて行きました。私たちは、それらの肉欲の魅力を失うよう、祈る事が出来ます。 愛人を厭うようになる(サムエル記第213:15)-Afterアムノンがタマルを暴行した後、彼の「愛」はすぐに意地の悪い肉欲となりました。多くの主から離れていった人々は、いわゆる「愛人」によって引っ張られて行きました。彼らの不品行に陥ったパートナーがすぐに相手を拒否し、肉欲と愛の違いが明らかになるよう祈る事が出来ます。 心の向きを変えさせる(箴言21:1)-聖書には、神は、河の流れの方向を変えるように、王の心の方向を変える事が出来ると書かれています。人は皆、自分の意志に対し神から与えられた権威を持っていますが、神は人に影響を及ぼし、人が正しい決断をするよう心を向けさせる事が出来ます。 彼らを行かせる(士師記14:4)-罪は決して神の意志ではありませんが、時々、放蕩者がこの世に繰り出すのは、神に許されており、それはより大いなる善をもたらすための主のご計画の中にあるのです。他者の信仰に依存しているある若者が、自分が何を本当に信じているのかを見極めるために外に出ていく必要がある場合があります。放蕩息子の父親は彼が出ていくのを止めませんでした。 「豚小屋の啓示」(ルカ15)-放蕩息子が無駄な状況の中で「正気に戻る」時があり、自分の父の元に帰る方がましだと気付きます。私たちはこの啓示が速やかに与えられるよう祈る事が出来ます。私たちはまた、放蕩者が常に広げた腕の中へと迎え入れられる事を知っているのを保障するため、手を尽くさねばなりません。 肉の滅び(第一コリント5:5)-パウロは、ある心頑なにした罪人がサタンに引き渡されるよう祈りました。これによって、彼らが自分の罪の破滅的な結果に対処する事になるでしょう。しかし、これが彼らの魂を救う事になるのです。敬虔な家庭の子どもたちは、通常、彼らが初めて罪を犯した時それに「捕まって」しまいます。それは、彼らが悔い改められるようにする神の恵みなのです。 自身を聖める(ヨハネ17:19)-放蕩者の友人や親戚として、私たちは心を余計に純粋に保つために特に努力しなければなりません。そうする事によって、間接的に彼らが再び心の純粋さを見出す助けになるのです。 父よ、彼らをお許しください(ルカ23:34)-放蕩者は行動する時、全て分かった上で行動していますが、そこには常に何パーセントか、この世の誘惑に騙されて、無知で行っている場合があります。私たちは彼らのために、彼らが悔い改める前に、神の許しを祈ります。あなた方が愛をたくさん「投資」した事によって、苦い思いにならないよう注意しなければならないです。心を憤りなどから自由でなければなりません。 [...]

By |2020-10-26T10:32:48+00:00October 26th, 2020|0 Comments